あんぱん慰問袋とは何?のぶが作ったのは実話?

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あんぱん慰問袋
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『あんぱん』第6週で、のぶが慰問袋を作ることを提案しました。

この提案はすぐに学校中に広がり、みんなで慰問袋を作り始めます。

そもそも『慰問袋』とは、何だったのでしょうか

そして、のぶの行動は実在の人物『小松暢さん』の実話に基づいているのでしょうか。

今回は、慰問袋の意味や目的、そして史実との関係について調べてみました。

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目次

あんぱん慰問袋とは何?

袋と手紙

『あんぱん』第6週で、のぶが発案した慰問袋。

慰問袋とは、どんなものだったのでしょうか。

慰問袋とは、戦争中に一般市民が兵士へ送った応援のメッセージや物資を詰めた袋です。

慰問袋の始まりは、日露戦争の頃。

最初は、市民による自発的な支援活動として始まりました。

しかし、太平洋戦争が激しくなるにつれ、国や学校が主導するようになります。

すると、半ば国民の義務のようなものになりました。

ただし『あんぱん』第6週の時代設定は、それより少し前のこと。

のぶは『義務』ではなく、『自分にできることをしたい』という純粋な気持ちで製作を考えます。

これまで『御国のために尽くす』という言葉に、ピンときていなかったのぶ。

この行動がきっかけで、周囲から『愛国の鏡』と呼ばれるようになります。

そして、のぶの中でも少しずつ何かが変わっていきました。

慰問袋の目的は?

慰問袋が作られた目的は、大きく分けて次の3つです。

  • 戦地の兵士を励ますため
  • 元気に帰るという希望や意思の支え
  • 応援の気持ちを形にするため

慰問袋の一番の目的は、過酷な環境で戦う兵士たちの心を支えることでした。

戦地では、物資の不足だけではなく、精神的な孤独や不安との戦いもありました。

そんな中、日本から届いた慰問袋は大きな心の支えに。

袋の中には、手紙やお守りが入っていることもありました。

それらを見て『一人じゃない』と思えた兵士も多かったそうです。

当時、慰問袋を作っていたのは、女性や子どもたちでした。

『自分にできること』と考えて、袋を縫い、中身を揃え、心を込めて送ったのです。

のぶも豪ちゃんの出征をきっかけに『自分も何か貢献したい』と考えて、動き出しましたよね。

慰問袋の中身は何?

慰問袋には、兵士の生活を少しでも支えるための物が入っていました。

では、具体的に慰問袋の中身は何が入っていたのでしょうか。

慰問袋の代表的な中身
  • 食料品:缶詰・羊羹・飴など
  • 衣類:シャツ・靴下・手ぬぐいなど
  • 日用品:石けん・ちり紙・歯ブラシなど

中身は、時期や地域によってさまざまでした。

時には、雑誌や手紙、お守りが入っていることもありました。

しかし、戦況が悪化すると物資が乏しくなり、内容も簡素に。

中には『千人針』だけ、入っていることもあったそうです。

千人針とは?

白い布に1人1針ずつ赤い糸で縫い、無事を祈って作るお守りのようなもの。

のぶ達は、慰問袋の中身を購入するために、街で募金を呼びかけていましたよね。

あんぱん慰問袋をのぶが作ったのは実話?

裁縫セット

『あんぱん』で描かれた、のぶが慰問袋を作るというエピソード。

これは、のぶのモデル『小松暢さん』の実話なのでしょうか。

小松暢さんが慰問袋を作ったという記録は、現在見つかっていません。

小松暢さんについては、資料やエピソードが多く残っていません。

そのため、詳細があまり知られていないのが実情です。

『あんぱん』では、のぶは女子師範学校の仲間と慰問袋を作る様子が描かれました。

しかし史実では、小松暢さんは女子師範学校へ進学していません。

小松暢さんが進学したのは、大阪府立阿部野高等女学校です。

卒業後は、東京で働いていたことがわかっています。

つまり、女子師範学校で慰問袋を作るエピソードはフィクションの可能性が高いと言えます。

しかし当時、慰問袋は日本全国で作られていました。

女学生や地域の婦人会、子どもたちなど、多くの人が協力していたのです。

戦争が激しくなるにつれ、慰問袋作りは半ば国民の義務のようになっていきました。

そのため、小松暢さん自身もどこかで慰問袋作りに関わった可能性はゼロではありません

以上のことから、のぶが慰問袋を作る場面は、史実には基づいてはいない可能性が高いです。

当時の社会背景を反映したフィクションだと考えられます。

まとめ

  • 慰問袋は、戦時中に市民が兵士に向けて送った手紙や物資を詰めたもの
  • 小松暢さんが慰問袋を作ったという史実は確認されていない

『あんぱん』第6週で、のぶが慰問袋を作る姿が描かれました。

慰問袋は、戦時中に市民が兵士に向けて送った応援の手紙や物資を詰めた袋のこと。

もともとは、自発的な支援活動でした。

しかし、次第に半ば義務のような存在になっていきました。

作中では、のぶは義務感ではなく『自分も何かしたい』という気持ちで動きます。

この行動が、周囲の人々に影響を与えることに・・・。

慰問袋の中には、食品や衣類、手紙やお守りなどが入っていました。

これは、兵士にとって大きな心の支えに。

女子師範学校の仲間が協力して作りあげたことも、当時の時代背景を物語っています。

しかし、のぶのモデル『小松暢さん』が実際に慰問袋を作った記録は確認されていません。

女子師範学校への進学も事実ではありませんでした。

そのため、このエピソードはフィクションの可能性が高いです。

とはいえ、当時全国的に慰問袋作りは広がっていました。

そのため、小松暢さんも慰問袋を作った可能性はゼロではありません。

のぶ達が作った慰問袋、豪ちゃんの元に届くといいですね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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