朝ドラ『あんぱん』で、たかしが脚本を書いた『やさしいライオン』。
これは実在する、やなせたかしさんの作品です。
ブルブルとムクムクの物語は、その後『アンパンマン』へとつながっていきます。
さらに、手塚治虫さんとの友情とも深い関係があります。
本記事では、
- 『やさしいライオン』の誕生背景
- あらすじ(絵本・映画の結末の違い)
- 手塚治虫との関係
をわかりやすく紹介します。
【あんぱん】やさしいライオンとは?

『やさしいライオン』はやなせたかしさんの代表作の一つです。
のちに『アンパンマン』誕生へとつながった、出世作でもあります。
ブルブルとムクムクの絆を描いた物語は、今も多くの人に語り継がれています。
誕生の背景
『やさしいライオン』が、生まれたのは1967年の春。
文化放送のラジオ番組『現代劇場』で、ラジオドラマとして放送されました。
実は、この物語は一晩で書き上げられた脚本でした。
別の作家の原稿が間に合わず、急きょ穴埋めとして依頼されたのです。
やなせたかしさんは、一晩で書き上げました。
ところが、放送後は大きな反響を呼びました。
1969年にフレーベル館から絵本が出版。
翌年には、虫プロでアニメ映画化されました。
絵本の成功が、のちの『アンパンマン』誕生へとつながっていきます。
誕生のきっかけ
『やさしいライオン』が生まれたきっかけは、大きく三つあります。
- ドイツで『犬がライオンを育てた』という新聞記事
- サーカスの猛獣が逃げて撃たれたという新聞記事
- やなせたかしさん自身の幼少期の記憶
この中で、最も大きな影響を与えたのは幼少期の体験でした。
やなせたかしさんは『この物語の根底は自分の人生への痛恨だ』と語っています。
ライオンはやなせたかしさん自身を重ねた存在。
母犬には、実母と育ての母の姿が投影されていました。
実母への寂しさと恋しさ。
育ての母への反発心。
その複雑な感情がブルブルとムクムクの物語に込められています。
やなせたかしさんは『人生の悲痛から目を背けてはいけない』と考えていました。
だからこそ、その先にある「愛と勇気」を描こうとしたのです。
つまり、この物語は、記事の着想と、やなせたかしさんの人生経験から生まれた作品です。
【あんぱん】やさしいライオンのあらすじ!

『やさしいライオン』の物語を簡単にご紹介します。
ブルブルとムクムクの出会い
動物園で、独りぼっちのライオンの赤ちゃんがいました。
いつもブルブルと震えていたので『ブルブル』と名付けられます。
そんなブルブルを育てたのが、犬の『ムクムク』でした。
ムクムクは『お手』『待て』を教え、子守唄を歌い、愛情を注ぎます。
ブルブルはその優しさを受けて、心やさしいライオンに育ちました。
成長と別れ
やがてブルブルは大きく成長し、都会の動物園へ送られることになります。
ムクムクとの幸せな日々に、別れの時が訪れました。
さらに時が過ぎ、ブルブルはサーカスの人気者になります。
しかし心の中には、いつもムクムクの子守唄が残っていました。
ブルブルは『お母さんの子守唄』を忘れることができなかったのです。
再会
ある夜、ブルブルは子守唄が聞こえた気がしました。
「お母さんだ!」と感じたブルブルは、檻を破って脱走します。
街を走るライオンに人々は驚きますが、ブルブルは歌声を頼りに進みました。
そして雪の丘で、年老いたムクムクと再会。
「お母さん、今度こそ離れないで一緒に暮らそうね」と抱きしめます。
しかし、周囲には警察隊が迫っていました。
隊長の命令で銃が放たれ、煙が立ちこめます。
結末の違い
絵本・紙芝居とアニメ映画では、結末が違うことがわかりました。
絵本・紙芝居
二人の上に雪が降り積もり、ブルブルの足跡は途中で消えてしまいます。
その夜、「犬を背に乗せたライオンが空を飛んでいった」という目撃談が残りました。
ふたりは、どこか知らない世界で一緒に暮らしている・・・。
物語は、そんな余韻で終わります。
アニメ映画
物語を読んだ親子の会話が挟まれます。
子どもは「ブルブルは生きている」と信じていました。
ラストは、ライオンが犬を背中に乗せて夜空を飛んでいくシーンで幕を閉じます。
希望を残す結末になっています。
結末が違う背景
『やさしいライオン』は、絵本や映画など媒体や制作年によってラストが異なります。
理由は「結末があまりにも残酷すぎる」という声があったからです。
そのため、のちの作品ではやさしい描写に改変されました。
残酷さを和らげることで、より愛と絆を強調した物語へと変化したのです。
さらに、設定そのものにも違いがあります。
当初は、ブルブルが母親を、ムクムクが子どもを失った設定でした。
互いの喪失感が、ふたりの強い絆を生んだ背景になっているのです。
【あんぱん】やさしいライオンと手塚治虫との関係を紹介

映画『やさしいライオン』は、手塚治虫さんのポケットマネーで制作されました。
映画公開の前年、やなせたかしさんは手塚治虫さんと仕事を共にしています。
ふたりは同じ『漫画集団』に所属し、会合で顔を合わるくらいの仲でした。
ある日、手塚治虫さんから電話が入り、映画の美術監督を依頼されます。
任されたのは、手塚治虫さんの作品『千夜一夜物語』でした。
この映画は大ヒット。
そのお礼として手塚治虫さんは、やなせたかしさんに提案します。
それは『虫プロのスタッフで好きな映画を作ってよい』というものでした。
やなせたかしさんはこの提案を受け、『やさしいライオン』の映画化を決断します。
当初、虫プロのスタッフはこの提案に反対していたそうです。
そのため、手塚治虫さん自身の資金で映画は完成しました。
やなせたかしさんは、脚本・美術・監督すべてを担当。
虫プロのスタッフ5人と一緒に、映画を作り上げました。
やなせたかしさんは映画化に自信がありませんでした。
しかし、結果は大成功。
毎日映画コンクールでは、大藤信郞賞を受賞。
さらに、1970年には一般公開され、高評価を得ました。

『あんぱん』でも第23週で、たかしが手嶌治から映画の美術監督を依頼されます。その後、史実通り物語が進むのか注目ですね!


やさしいライオンのQ&A


まとめ
『やさしいライオン』は、やなせたかしさんの実在作品です。
ブルブルとムクムクの絆の物語は、『アンパンマン』誕生にもつながっています。
新聞記事やサーカスの事件、やなせさん自身の幼少期の体験が物語誕生の背景にありました。
ブルブルにはやなせさん自身の想いが、ムクムクには母親像が重ねられました。
結末は絵本や映画で異なります。
残酷さを和らげ、希望や愛、絆を強調した描写に変更されました。
初期設定ではブルブルは母親を、ムクムクは子どもを失った存在でした。
互いの喪失感が、強い絆を生んだのです。
『やさしいライオン』の映画化は、手塚治虫さんのポケットマネーで実現。
やなせたかしさんは脚本・美術・監督を担当、虫プロスタッフと共に完成させました。
映画は大成功し、毎日映画コンクールで大藤信郞賞を受賞。
1970年に一般公開され高評価を得ました。
『あんぱん』第23週では、たかしが手塚治虫から映画の美術監督を依頼されます。
史実通りに進むのか、今後の展開も楽しみです。
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