朝ドラ『あんぱん』で、東海林(しょうじ)が病気で亡くなる展開が描かれました。
のぶやたかしを支えてきた東海林との突然の別れ。
その場面は、多くの視聴者にも衝撃を与えました。
その後、東海林が病気を抱えていたことが明らかになります。
しかし、死因となった病名までは語られていません。
今回は、東海林の死因や病名の可能性、そして史実との違いについて解説します。
あんぱん東海林の死因や病名は?

『あんぱん』で、東海林の死因や病名については詳細が明かされていません。
そのため、現時点で直接的な死因は判明していません。
ただし、琴子からの手紙で東海林が病気を抱えていたことが語られています。
医師に頼んで無理をして上京し、のぶたちと再会。
しかし高知に戻ったあと、東海林は帰らぬ人となりました。
では、東海林の死因は何だったのでしょうか。
ここでは、病名の可能性を時代背景や人物像から考えてみます。
当時に多かった病気
東海林が亡くなったのは1975年ごろ。
この時代に多かった主な死因は次の3つです。
- 脳血管疾患(脳卒中など)
- がん
- 心疾患
いずれも当時の日本で死亡原因の上位を占めていました。
東海林も、こうした病気にかかっていた可能性が考えられます。
東海林は、高知県で入院していたことがわかっています。
琴子の手紙にも「以前から病気を患っていた」と記されていました。
痩せて見えたのも、その病気の影響だったのかもしれません。

あんぱんを一口しか食べられなかったのは、体調のせいだったのかもしれません。
それでも無理して上京した東海林を思うと、涙がこぼれそうです。
設定から考えられる病名
『あんぱん』では、東海林は酒好きな人物として描かれていました。
そのため、飲酒と関係の深い病気が死因候補として考えられます。
まず考えられるのは『肝臓の病気』です。
長年の飲酒は肝硬変や肝がんの原因となります。
当時は、今よりも治療法も限られていました。
また、飲酒は食道がんや胃がんのリスクを高めることもあります。
さらに、高血圧を招きやすく、心臓病や脳卒中につながることも知られています。
『酒好き』という設定は、東海林の病気や最期を暗示する伏線だったのかもしれません。
あんぱん東海林の死因と史実との違いを解説


『あんぱん』の東海林は、青山茂さんを参考にしたキャラクターです。
ただ、青山茂さんの死因についても詳細は公表されていません。
東海林と同じく、亡くなった理由は明らかになっていません。
それでも、ドラマと史実を比べると違いが見えてきます。
大きな違いは次の2点です。
- 亡くなった時期
- 亡くなった年齢
亡くなった時期
ドラマでは、東海林は1975年ごろに亡くなります。
一方、史実の青山茂さんが亡くなったのは1981年。
ふたりの死には約6年の差があるのです。
『あんぱん』は残り2週で最終回を迎えます。
アンパンマン誕生を描くため、物語を進める必要がありました。
その都合で、東海林の死は早めに描かれたのかもしれません。
亡くなった年齢
青山茂さんは73歳で亡くなりました。
晩年は孫と庭で遊び、花作りを楽しんでいたと伝えられています。
東海林とは違い、お酒もあまり飲まなかったようです。
一方で、東海林の年齢はドラマ内で明らかにされていません。
ただし、青山茂さんより若く亡くなったと考えられます。
1975年当時、たかしは56歳。
東海林とは10歳ほど年齢差がある設定です。
やなせたかしさんと青山茂さんも、実際に11歳差でした。
このことから逆算すると、東海林は66歳前後で亡くなった可能性が高いでしょう。
史実よりも早く亡くなった設定になっていると考えられます。
Q&A


まとめ
朝ドラ『あんぱん』で、東海林(しょうじ)は病気で亡くなりました。
しかし、死因となった病名は明かされていません。
1975年当時の死因として多かったのは『がん』『心臓病』『脳卒中』。
さらに、東海林は酒好きな設定から、肝臓の病気の可能性も考えられます。
ただし、いずれも推測にすぎず、病名は不明のままです。
史実でのモデル・青山茂さんも、死因は公表されていません。
ただし、亡くなった時期と年齢に違いがあります。
- あんぱん:1975年ごろに死去、66歳前後と推定
- 史実:1981年に死去、73歳で逝去
最終回へ向けて物語を加速させるため、東海林の死が早められたと考えられます。
突然の別れは、のぶやたかしにとって大きな転機となりました。
東海林が亡くなってしまう展開は、予想できませんでした。
「アンパンマンによろしゅうねや」という東海林の言葉。
たかしとのぶには、どう響いたのでしょうか。
東海林にもアンパンマンが人気になるのを見せたかったですね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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