朝ドラ『あんぱん』第18週で、たかしが就職した『三星百貨店(みつぼしひゃっかてん)』。
この百貨店には、実在するモデルがあるのでしょうか。
実は、たかしのモデルであるやなせたかしさんも、過去に百貨店で働いていました。
『あんぱん』では、どこまで史実に基づいているのか、共通点や違いも気になりますね。
今回は、三星百貨店のモデルの有無や、やなせたかしさんの史実との比較を詳しく解説します。
【あんぱん】三星百貨店のモデルは?

『あんぱん』に登場する三星百貨店は、実在しない架空の百貨店です。
しかし、モデルは日本橋三越の可能性が高いと考えられます。
日本橋三越は、東京・日本橋に本店を構える老舗百貨店。
三星百貨店のモデルが三越といわれる主な理由は、次の3つです。
- やなせたかしさんが日本橋三越に勤務していた
- 配属先が同じ『宣伝部』
- 三星と三越で名前がよく似ている
このことから、三星百貨店は三越を参考にした設定だといえるでしょう。
やなせたかしの就職先は日本橋三越
やなせたかしさんは、1947年10月頃に日本橋三越に就職しました。
この事実は、『あんぱん』のエピソードと強く重なります。
第18週で、たかしは『三星百貨店(みつぼしひゃっかてん)』に入社しました。
この設定は、やなせたかしさんの実際の経歴をもとに描かれている可能性が高いです。
史実とドラマの展開には、次のような共通点があります。
- 就職先が百貨店であること
- 働き始めた時期が同じ戦後直後であること
三星百貨店は、こうした実際のエピソードをベースにしていることがわかります。
このことから、三星百貨店のモデルが日本橋三越とされる理由の一つになっています。
宣伝部所属も史実と一致
やなせたかしさんが日本橋三越の宣伝部に所属していたことは、ドラマの設定と一致しています。
『あんぱん』では、たかしが三星百貨店の宣伝部に配属されました。
宣伝部では、たかしは芝居のポスターやデザインに携わります。
絵の才能を活かした仕事をしていました。
史実でも、やなせたかしさんは日本橋三越の宣伝部でポスター制作などを担当。
さらに、日本橋三越の包装紙のデザインも手掛けていたことが知られています。
名前が似ている
三星百貨店と三越百貨店の名前が似ていることも、モデルと考えられる理由の一つです。
『三越』と『三星』を比べると、違うのは『越』と『星』だけで、響きもよく似ています。
さらに、三越百貨店は日本橋を本店とする老舗百貨店。
『あんぱん』の三星百貨店も、同じく老舗デパートとして描かれていました。
こうした共通点から、三星百貨店は三越をモデルにし、名前も参考にした可能性が高いでしょう。
【あんぱん】三星百貨店と史実の違いや共通点を解説

三星百貨店は、やなせたかしさんが勤務していた日本橋三越がモデルと考えられます。
では、ドラマと史実ではどのような違いがあり、どんな共通点があるのでしょうか。
ここからは、三星百貨店と史実の違い・共通点をわかりやすく整理して紹介します。
史実との違い
三星百貨店とやなせたかしさんの実際の経歴には、3つの大きな違いがあります。
- 最初の就職先ではない
- 就職のきっかけ
- 面接での態度
最初の就職先ではない
やなせたかしさんの最初の就職先は百貨店ではありませんでした。
『あんぱん』では、たかしが上京後すぐに三星百貨店で働き始めます。
しかし、史実では違いました。
やなせたかしさんは、上京後にデザイン会社で働きました。
この会社は、田辺製薬時代の同僚が経営しており、その縁で入社しています。
しかし、仕事は多かったものの、『版下図案』が描けず、十分に貢献できなかったそうです。
結果、一年も経たないうちに退職しています。
就職のきっかけ
やなせたかしさんが日本橋三越に就職したきっかけは、自ら入社試験を受けることを決意したためです。
『あんぱん』では、たかしが登美子のすすめで三星百貨店の試験を受けます。
一方、史実では本人の意思で試験に挑んでいます。
当時、日本橋三越が開催した日本広告展にやなせさんは作品を応募し、見事入選。
そのうち1点は『デパートの部の部会賞』を受賞しました。
ちょうどこの頃、三越の宣伝部では人材を募集していました。
やなせたかしさんは自ら入社試験を受けて合格。
こうして1947年10月、日本橋三越で働き始めました。
面接の態度
やなせたかしさんは、日本橋三越の入社試験で一度落ちていました。
理由は、面接時の態度が生意気』だと判断されたためです。
作品提出を求められた際に「展覧会場にあるから見てほしい」と答えたそうです。
すると、この発言が試験官から反感を買い、不合格になりました。
しかし、試験官の一人である井上慶吉さんが「責任を持つ」と発言。
最終的に、やなせたかしさんの採用が決定します。
この井上慶吉さんは高知県出身の方でした。
同郷という理由ではなく、やなせたかしさんの才能に可能性を感じて採用を後押ししたそうです。
井上慶吉さんは、自費で同人誌『南風』を発行していた文学好き。
この同人誌に、やなせたかしさんは表紙やエッセイを提供。
この縁から、高知出身の漫画家や作家との交流も広がっていきます。

井上慶吉さんとやなせたかしさんのエピソードは『あんぱん』の東海林とのぶの面接のエピソードに似ていますね。
『あんぱん』との共通点
『あんぱん』の三星百貨店と史実には、3つの共通点があります。
- 就職後に宣伝部に配属
- デザインの仕事(ポスターや広告など)を担当
- 退社時期
まず、就職後の所属先はどちらも宣伝部でした。
ドラマのたかしも、史実のやなせたかしさんも、ここで広告やポスターのデザインを担当します。
史実では、やなせさんが三越の包装紙をデザインしたことでも有名です。
ドラマでも、たかしが包装紙を手がけるのか注目ですね。
さらに、退社のタイミングも一致しています。
ふたりが百貨店を退職したのは、1953年頃です。
この頃、やなせたかしさんは漫画家としての収入が百貨店の給料を超えました。
小松暢さんの後押しもあり、やなせたかしさんは退職を決意します。
ドラマでも、のぶがたかしを支える場面が描かれる予定です。
こうした展開は、史実に基づいていると考えられます。
まとめ
- 三星百貨店は架空の百貨店だが、モデルは日本橋三越の可能性が高い
- モデルとされる理由は『やなせたかしさんの勤務先』『宣伝部配属』『名前の類似』
- 史実との違い:最初の就職先はデザイン会社・試験は本人の意思・面接で一度不合格
- 共通点:宣伝部で広告・ポスター制作、包装紙デザイン、1953年頃に退社
- 退社理由も一致し、妻による後押しがドラマに反映されている
朝ドラ『あんぱん』に登場する三星百貨店は、実在しない架空の百貨店です。
そのモデルは東京・日本橋にある老舗百貨店『日本橋三越』である可能性が高いと考えられます。
なぜなら、やなせたかしさんご本人が実際に日本橋三越で働いていた時期がありました。
『あんぱん』の物語には、その当時のエピソードと似ている共通点がいくつも見られるからです。
しかし、ドラマと史実には違いもあります。
たとえば、やなせさんの最初の就職先は百貨店ではなく、デザイン会社でした。
また、入社試験は本人の意思で受けており、面接では一度不合格になったというエピソードもあります。
これらはドラマの中で少し変えられて描かれています。
一方で、ドラマと史実の共通点もありました。
たとえば、やなせたかしさんもドラマの主人公・たかしも就職後は宣伝部に所属。
そこで、ポスターや広告のデザインを担当していました。
さらに、やなせたかしさんが三越で手掛けた包装紙のデザインは有名です。
ドラマでもたかしが包装紙を制作するシーンが期待されています。
また、退職の時期もほぼ一致しています。
1953年頃に、漫画家としての収入が百貨店の給料を超え、やなせたかしさんは百貨店を退職。
この時、小松暢さんの後押しもあったと伝えられています。
ドラマでもたかしが退職を決める場面で、のぶの支えが描かれる予定です。
こうした描写は、史実に基づいたリアルな内容と言えるでしょう。
このように、『あんぱん』の三星百貨店は単なる架空の場所ではありません。
やなせたかしさんの実体験を元に丁寧に作り込まれていることが分かります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
【関連記事】










コメント