小泉八雲の戸籍を調査!帰化の史実や小泉姓になった理由

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小泉八雲戸籍
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朝ドラ『ばけばけ』では、ヘブンが戸籍の問題に直面します。

モデルとなった小泉八雲さんにも戸籍を変えた史実がありました。

明治時代、外国人が日本に帰化するのはとても大変なことでした。

では、小泉八雲さんはどのように日本の戸籍に入ったのでしょうか。

また、なぜ『小泉姓』を名乗ることになったのでしょうか。

この記事では、

  • 小泉八雲さんの戸籍
  • 明治時代の帰化制度
  • 小泉姓になった理由

について、史実をもとにわかりやすく解説します。

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目次

小泉八雲の戸籍を調査

夫婦と子ども

小泉八雲さんは、イギリス国籍から日本に帰化し、日本の戸籍に入りました。

小泉八雲さんはギリシャ生まれで、イギリス国籍を持っていました。

しかし、長男誕生をきっかけに、日本への帰化を決意します。

帰化後、小泉八雲さんは日本人として戸籍に登録されました。

戸籍は、妻である小泉セツさんの実家『小泉家』の戸籍です。

この時、戸籍上の名前もラフカディオ・ハーンから 小泉八雲 に改名。

こうして、小泉八雲さんは日本の戸籍を持つ日本人となりました。

いつ戸籍に入った?

小泉八雲さんが、日本の戸籍に入ったのは、1896年2月10日です。

この時、小泉八雲さんは妻のセツさんの戸籍に入りました。

長男の一雄さんが誕生してから、約2年後のことでした。

戸籍の変更後、小泉八雲さんとセツさんは正式に婚姻届を提出。

これにより、二人は法律上の夫婦となりました。

この結婚は、当時の日本で 191番目の国際結婚 といわれています。

なぜ日本の戸籍に入ったのか

小泉八雲さんが、日本の戸籍に入ったのは家族を守るためでした。

当時は外国人のままだと、家族の戸籍や相続に問題が生じる可能性がありました。

そのため、小泉八雲さんは日本の戸籍に入ることを決断します。

小泉八雲さんが日本の戸籍に入った理由は、主に次の3つです。

  • 妻と正式に夫婦になるため
  • 子どもの戸籍を日本にするため
  • 遺産を家族に残すため

妻と正式に夫婦になるため

小泉八雲さんが日本の戸籍に入った理由は、セツさんと正式に結婚するためです。

当時、小泉八雲さんとセツさんは、法律上の夫婦ではありませんでした。

二人は、いわゆる事実婚の状態でした。

小泉八雲さんが外国人のままだと、戸籍上の婚姻が認められなかったのです。

セツさんの妊娠をきっかけに、小泉八雲さんは戸籍の変更を検討します。

日本に帰化し、日本の戸籍に入ることを決意しました。

こうして、小泉八雲さんは日本の戸籍に入り、セツさんと正式な夫婦となったのです。

子どもを日本の戸籍にするため

小泉八雲さんは、子どもの戸籍を日本にするため日本の戸籍に入りました。

小泉八雲さんは、子どもを日本国籍にしたいと考えていました。

当時、小泉八雲さんはイギリス国籍でした。

また、セツさんとは、法律上の婚姻関係がありませんでした。

そのため、小泉八雲さんが出生届を出すと、子どもは外国人として登録されます。

一方、セツさんが届け出た場合は、子どもは日本の戸籍に入ります。

ただし、セツさんの私生児として戸籍に登録される可能性がありました。

子どもを自分の子どもとして日本の戸籍に入れるため、小泉八雲さんは帰化する必要がありました。

遺産を家族に残すため

小泉八雲さんは、家族に遺産を残すため日本の戸籍に入りました。

当時の法制度では、小泉八雲さんの遺産が海外の親族に渡る可能性がありました。

そのため、小泉八雲さんは日本の戸籍に入り、家族を守ろうとしたのです。

小泉八雲さんは、遺書で遺産をセツさんに残す意思を示していました。

しかし、外国籍のままだと、その願いが実現しない可能性があったのです。

小泉八雲さんが日本の戸籍に入ったことで、遺産はセツさんに相続されました。

小泉八雲さんの死後、元妻のマティさんが遺産をめぐり裁判を起こしています。

しかし、裁判はマティさんが敗訴し、遺産はセツさんに渡りました。

小泉八雲の帰化の史実

仕事の机

小泉八雲さんの帰化は、現在よりも複雑で多くの手続きが必要でした。

明治時代、現在のような帰化制度は整っていませんでした。

そのため、帰化するためには、複数の役所を経由する手続きが必要がありました。

また当時は、外国人との結婚自体が珍しく、前例もほとんどありませんでした。

こうした背景から、小泉八雲さんの帰化手続きはとても大変だったと考えられます。

史実によると、小泉八雲さんの帰化が完了するまで約2年掛かったといわれています。

このことからも、小泉八雲さんの帰化は難しい手続きだったことがわかります。

ここからは、明治時代の帰化制度小泉八雲さんの帰化の流れを解説します。

明治時代の帰化制度

明治時代の帰化制度は、現在とは大きく異なっていました。

1899年に国籍法が制定されるまで、正式な帰化制度は整っていませんでした。

そのため、外国人は入夫婚姻などの方法で、日本人の戸籍に入りました。

この方法で戸籍に入り、日本国籍を取得したのです。

ただし、当時は国際結婚自体が珍しく、県知事などの特別許可が必要でした。

そのため、手続きには数ヶ月から1年ほどかかることもありました。

1899年に国籍法が制定されると、帰化は正式な制度となります。

帰化は国の許可制となり、現在の制度に近い形が整えられました。

ただし、当時は帰化する外国人の数は非常に少なかったといわれています。

小泉八雲の帰化までの時系列

小泉八雲さんの帰化の手続きが完了するまで約2年掛かりました。

小泉八雲さんの帰化までの流れを時系列でまとめました。

帰化までの時系列

年月出来事
1893年4月帰化を考え始める
1893年11月17日長男誕生
1894〜1895年頃帰化準備
1895年夏頃手続き開始
1895年後半〜1896年初頭入夫婚姻願い提出
1896年1月許可
1896年2月10日入籍・帰化

小泉八雲さんが、帰化を考え始めたのは1893年頃です。

セツさんの妊娠がきっかけでした。

長男の出生届を出した際、父親が外国人だと子どもも外国人になると説明を受けます。

この出来事から、小泉八雲さんは帰化の必要性を強く感じました。

1894〜1895年頃、小泉八雲さんは神戸へ移住します。

そして、ここから本格的に帰化の準備を始めました。

帰化の手続きを進めるため、セツさんは小泉家の分家として女性戸主になります。

その後、セツさんの戸籍に入るための『外国人入夫婚姻の願い』を県知事に提出。

1896年1月、県知事から許可が出ます。

そして、1896年2月10日に入夫婚姻の届出が受理されました。

こうして、小泉八雲さんはセツさんの戸籍に入り、帰化が完了したのです。

小泉八雲さんは帰化手続きの過程で、イギリス領事とやり取りをしていました。
またセツさんも、入夫婚姻が強制ではないか役所から確認を受けていたそうです。
当時、外国人の帰化がどれほど珍しく大変な手続きだったのかがわかりますね。

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小泉八雲が小泉姓になった理由

ペアの指輪

小泉八雲さんが小泉姓になったのは、セツさんの家に入婿(入夫)として入籍したためです。

明治時代、外国人が日本人と正式に結婚することが簡単ではありませんでした。

そのため、『入夫婚姻』という制度を使い、日本人の戸籍に入る方法が取られていました。

小泉八雲さんもこの制度を利用し、セツさんの戸籍に入りました。

その結果、姓も『小泉』となったのです。

ここからは、入夫婚姻の制度小泉姓になった理由を詳しく解説します。

入夫婚姻とは?

入夫婚姻とは、男性が妻の家に入り、その家の戸籍や姓を継ぐ結婚制度です。

現代の『婿入り婚』に近い制度で、明治時代の日本で使われていました。

明治時代は、家を継ぐことが重要とされていました。

跡継ぎがいない家では、男性を迎えて家を継がせる必要がありました。

そのため『入夫婚姻』という制度が使われていました。

入夫婚姻は、次のような流れで行われます。

入夫婚姻の仕組み

  • 女性が戸主になる
  • その女性と男性が結婚する
  • 男性が女性の戸籍に入る
  • 原則として男性が新しい戸主になる

入夫婚姻は、外国人との結婚でも利用されることがありました。

外国人が日本人の家に入り、その家の戸籍に登録される形です。

小泉八雲さんも、セツさんの家に入る形で結婚しました。

なぜ稲垣姓ではなく小泉姓?

セツさんの戸籍が小泉家に戻っていたため、小泉姓になりました。

セツさんは、もともと小泉家の生まれです。

しかし幼い頃、親戚の稲垣家の養女となりました。

そのため、結婚前は『稲垣セツ』と名乗っていました。

セツさんは18歳の時、前田為二さんと結婚します。

この結婚では、前田為二さんが稲垣家に入る『入夫婚姻』でした。

しかし、前田為二さんが家を出てしまい、二人は離婚します。

その後、セツさんは生家である小泉家に復籍しました。

この時、戸籍も小泉家に戻り、『小泉セツ』となります。

小泉八雲さんは帰化する際、入夫婚姻でセツさんの戸籍に入りました。

入夫婚姻では、夫が妻の家の姓を名乗ります。

そのため、小泉八雲さんは、小泉家の姓を継ぎ『小泉八雲』となったのです。

前の夫である前田為二さんの戸籍は、1901年頃に稲垣家から除籍されたといわれています。
セツさんと離婚してから、約11年後のことでした。
明治時代の戸籍制度では、このように除籍まで時間がかかることもありました。

Q&A

小泉八雲は日本の戸籍に入っていたのですか?

小泉八雲さんは、日本の戸籍に入っています。

妻の小泉セツさんの戸籍に入りました。

小泉八雲はいつ帰化したのですか?

1896年2月10日です。

この日に入夫婚姻が受理され、日本国籍を取得しました。

小泉八雲はなぜ日本に帰化したのですか?

家族を守るためです。

子どもの戸籍や遺産相続の問題を解決するため、日本の戸籍に入りました。

小泉八雲が小泉姓になった理由は何ですか?

入夫婚姻でセツさんの戸籍に入ったためです。

入夫婚姻では、夫が妻の家の姓を名乗ります。

小泉八雲の帰化にはどれくらい時間がかかりましたか?

帰化を考えてから完了まで、約2年かかりました。

まとめ

小泉八雲さんは、1896年に日本へ帰化し、妻の小泉セツさんの戸籍に入りました。

明治時代は、現在のような帰化制度が整っていませんでした。

そのため、外国人が日本人になるには、日本人の戸籍に入る方法が取られていました。

小泉八雲さんも入夫婚姻によってセツさんの戸籍に入ります。

その結果、姓も『小泉』となりました。

小泉八雲さんが帰化した理由は、家族を守るためです。

子どもの戸籍や遺産相続の問題を解決する必要がありました。

またセツさんは稲垣家の養女でしたが、離婚後に小泉家へ復籍しています。

そのため、小泉八雲さんは、小泉家の姓を名乗ることになりました。

『ばけばけ』では、ヘブンの戸籍や帰化がどのように描かれるのかにも注目ですね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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