『あんぱん』第9週で、寛(ひろし)が突然この世を去ってしまいました。
これまで病気の様子もなく、元気に過ごしていた寛(ひろし)に何が起こったのでしょうか。
寛(ひろし)は町の人々から信頼される町医者であり、たかしの伯父にして、父親代わりの存在でした。
そんな寛(ひろし)の死は、たかしにとっても大きな転機となります。
今回は、寛(ひろし)の死因について史実をもとに考察し、モデルとなった人物についても解説していきます。
あんぱん寛(ひろし)の死因を史実から解説!

『あんぱん』第9週で、寛(ひろし)は前触れもなく亡くなってしまいます。
では、その死因は何だったのでしょうか。
寛(ひろし)の死因は、脳血管疾患または心臓疾患による突然死だった可能性が高いと考えられます。
ドラマの中では、寛(ひろし)がどんな病気で亡くなったのか、はっきりとは描かれていません。
それまで体調を崩すような様子もなく、日常を元気に過ごしていました。
ただし、第8週では、寛(ひろし)が忙しく診察や往診に追われる姿が映されていました。
その様子から、相当な疲労がたまっていたことが想像できます。
このことから、寛(ひろし)の死には過労が関係していた可能性があると考えられます。
『あんぱん』に登場する寛には、モデルとなった人物がいます。
その人物とは、やなせたかしさんの伯父にあたる柳瀬寛(やなせひろし)さんです。
やなせたかしさんの伯父も、寛(ひろし)と同様に町の開業医として働いていました。
そして、柳瀬寛さんもまた過労によって亡くなった可能性があることがわかっています。
では、柳瀬寛さんの死因は、実際にどのようなものだったのでしょうか。
史実でも寛(ひろし)は突然死だった
やなせたかしさんの伯父『柳瀬寛さん』は、50歳という若さで突然この世を去りました。
ただし、正確な死因については、やなせたかしさんの著書などにも明確な記述は残っていません。
とはいえ、寛(ひろし)さんが町の開業医として激務をこなしていたことは確かです。
さらに、家族の生活を支える役割も担っていたため、心身への負担は非常に大きかったと考えられます。
そのため、過労が引き金となり、心臓や脳に関わる疾患を発症した可能性が高いでしょう。
突然死を引き起こす主な疾患には、以下のようなものがあります。
- 脳血管疾患(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血など)
- 心臓疾患(心筋梗塞、心不全など)
これらの病気は、中高年の男性に多く見られるとされています。
柳瀬寛さんが亡くなった50歳という年齢も、そうしたリスクの高い時期にあたります。
ドラマと史実で異なる点とは?
ドラマ『あんぱん』と史実とでは、寛(ひろし)の亡くなった時期に違いが見られます。
ドラマでは、寛(ひろし)が亡くなったのは1940年の1月頃。
史実では、やなせたかしさんの伯父『柳瀬寛さん』は、同じ年の3月頃に亡くなっています。
年は一致していますが、月が2ヶ月ほど前倒しになっている点が異なります。
共通しているのは、深い後悔を残す別れだったということです。
たかしは卒業制作を終えた後に高知へ戻りました。
しかし、間に合わず、最期を見届けることができませんでした。
このエピソードは、ドラマでも史実でも共通して描かれています。

当時は、今のように新幹線も飛行機もありません。
東京から高知に戻るには、列車を乗り継ぎ、丸一日以上かけて移動する必要がありました。
現代と違い、親しい人の最期に間に合うのがいかに難しかったのかが伝わりますね。
あんぱん寛(ひろし)のモデルとなった人物は?


『あんぱん』に登場する寛のモデルは、やなせたかしさんの伯父である柳瀬寛さんだとされています。
では、柳瀬寛さんとは一体どんな人物だったのでしょうか。
柳瀬寛さんの経歴と人柄
柳瀬寛さんは、高知県で開業医として働いていた人物です。
やなせたかしさんの父『柳瀬清さん』の実兄にあたります。
寛さんは、地元の名門中学を卒業後、医学専門学校へ進学。
その後、地元で医院を開業し、地域医療に従事しました。
妻であるキミさんとの間に、子どもはいませんでした。
そのため、やなせたかしさんの弟『千尋さん』を養子として迎え入れています。
また、長男として弟や姉妹、家族全体の面倒も見ていました。
このことから、非常に責任感が強い人物だったことがうかがえます。
やなせたかしさんとの関係
柳瀬寛さんは、やなせたかしさんにとって父親のような存在でした。
実の父『清さん』が早くに亡くなったこともあり、寛さんが父親代わりを務めていたのです。
実際に、やなせたかしさんは寛さんのことを「お父さん」と呼んでいました。
伯父でありながらも、それほど深い信頼と愛情で結ばれていた関係だったことがうかがえます。
必要以上に口出しすることはなく、やなせたかしさんの考えや行動を温かく見守るタイプだったそう。
また、養子である千尋さんと甥であるやなせたかしさんに分け隔てなく愛情を注いでいました。
その姿は、やなせたかしさんの記憶に強く残っているようです。
ドラマと史実の3つの違い
『あんぱん』の寛と、史実の柳瀬寛さんにはいくつかの違いがあります。
特に大きな違いは以下の3点です。
- 兄弟の人数
- 呼び方の違い
- 医者の道のすすめ
兄弟の人数
ドラマでは、寛(ひろし)は清と2人兄弟のように描かれています。
しかし、実際の柳瀬家には7人兄弟がいました。
他の兄弟たちの存在は、ドラマでは描かれていません。
呼び方の違い
ドラマでは、たかしは寛(ひろし)のことを「伯父さん」と呼んでいます。
ただ、寛(ひろし)が亡くなった後のシーンで、初めて「お父さん」と呼ぶ場面がありました。
一方で、やなせたかしさんは日常的に「お父さん」と呼んでいたとされています。
医者の道のすすめ
実際の寛(ひろし)さんは、やなせたかしさんに一度だけ医者になるように提案したことがあるそうです。
自分の病院を継ぐことを提案されたことも語られていました。
しかし、数学が苦手だったやなせたかしさんは、その申し出を断っています。
対して、ドラマの中では、寛(ひろし)がたかしや千尋に医者になることを勧める描写はありません。
この点も史実とは異なる表現となっています。



『あんぱん』に登場する寛(ひろし)は、優しく誠実で、人々に慕われる人物でした。
その描かれ方は、史実の柳瀬寛さんとも重なる部分が多くあります。
たとえフィクションであっても、モデルとなった人の想いが伝わってくるようなキャラクターでした。
やなせたかしさんが柳瀬寛さんのことを慕って尊敬していたことが、作品の随所からも感じ取れます。
まとめ
- 作中で、寛(ひろし)の詳しい死因は描かれていない
- 史実から、過労による脳や心臓の疾患の可能性が高い
- モデルは、やなせたかしさんの伯父だと考えられる
『あんぱん』第9週で突然亡くなった寛の死は、視聴者に大きな衝撃を与えました。
作中では、詳しい死因について描かれていません。
しかし、史実に基づくと、過労による脳や心臓の疾患が原因の可能性が高いです。
寛(ひろし)のモデルは、やなせたかしさんの伯父『柳瀬寛さん』であると考えられます。
柳瀬寛さんは、町医者として忙しく働き、家族を支えながら50歳で帰らぬ人となりました。
やなせたかしさんにとっては、父親代わりの存在で、深い愛情と尊敬を寄せていたことがわかります。
ドラマと史実には、違いもあります。
しかし、誠実で温かな人柄は共通して描かれているように感じました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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