あんぱんの東京高等芸術学校モデルは?やなせたかしの学歴も紹介

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あんぱん東京高等芸術学校モデル
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『あんぱん』第5週、たかしが東京高等芸術学校を受験します。

実は、この学校はモデルとなった実在の学校がありました。

東京高等芸術学校のモデルがどこなのか、史実をもとにご紹介します。

また、たかしのモデル『やなせたかしさん』の学歴も詳しくまとめました。

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目次

あんぱんの東京高等芸術学校モデルは?

大学

『あんぱん』に登場する、東京高等芸術学校。

このモデルは、どこなのでしょうか。

東京高等芸術学校のモデルは、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)だと考えられます。

東京高等芸術学校という学校は存在せず、検索しても情報が出てきません。

つまり、『東京高等芸術学校』は、架空の学校。

公式からモデルについて、明言はされていません。

しかし、史実をもとに考察すると、東京高等工芸学校がモデルではないかと思われます。

その理由は、大きく3つ。

詳しく見ていきましょう。

どんな理由で、東京高等芸術学校のモデルが東京高等工芸学校だと考えられるのでしょうか。

東京高等工芸学校だと考えられる理由

東京高等工芸学校がモデルだと考えられる理由は、大きく分けて3つです。

モデルと考えられる理由
  • やなせたかしさんの出身校だった
  • 浪人を経て入学してる
  • 図案科があること

以上、3つの理由から東京高等芸術学校のモデルが東京高等工芸学校だと考えました。

やなせたかしさんの出身校

やなせたかしさんの出身校は、東京高等工芸学校でした。

『あんぱん』はフィクション作品。

そして、たかしは、やなせたかしさんがモデルとなっています。

物語は、史実を参考に創作を交えつつ描かれています。

そのため、出身校も実際にやなせたかしさんが通った学校を参考にしていると考えられます。

あえて学校名を変更しているのは、フィクション作品ならではの工夫かもしれません。

浪人を経て入学

作中、たかしは浪人期間を経て東京高等芸術学校へ入学します。

これは、やなせたかしさん自身が浪人を経験を経験しています。

そして、東京高等工芸学校に進学した流れと重なりました。

また、やなせたかしさんは一度、芸術系ではない学校を受験して不合格になった経緯も

その点も、たかしのエピソードと重なる部分が多いです。

さらに、数学が苦手で、問題集を丸暗記して試験に挑んだこと。

そして、奇跡的に見たことがある問題が出題されたというエピソードも共通しています。

図案科がある

やなせたかしさんは、東京高等工芸学校工業図案科に入学しました。

図案科とは?

実用的なデザインを学ぶ場所で、現在の美大のデザイン科に似ている。

作中でも、たかしが入学したのは、東京高等芸術学校の図案科です。

さらに、合格者数がたった20名という狭き門であった点も一致

どちらも、美術を学ぶ専門的な環境なこと。

高倍率の難関だったことが描かれています。

以上3つの理由から、東京高等芸術学校のモデルは、東京高等工芸学校と考察できます。

東京高等工芸学校はどんな学校?

東京高等工芸学校は、1921年に官立(現在の国立)専門学校として設立されました。

現在の千葉大学工学部の前身にあたる学校です。

ここでは、工業と美術の中間分野を学ぶ教育が行われていました。

本科には、工業図案科のほか、工芸彫刻部・金属工芸科・木材工芸科・印刷工芸科を設置。

修業年限は、三年とされていました。

その後、学校は『東京工業専門学校』に改称。

1949年、学校改革を経て『千葉大学工芸学部』に。

1951年に現在の『千葉大学工学部』となりました。

作中での描かれ方

作中で『東京高等芸術学校』は、全国から受験生が集まる超難関校として描かれています。

特に図案科は、合格者がわずか20名のみという狭き門。

たかしも、試験を受ける前から、不安な気持ちを抱えていました。

入学後は、自由で個性的な教師たちのもとで、たかしはのびのびと芸術を学びます。

ドラマならではの展開もあるかもしれませんね。

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やなせたかしの学歴も紹介

学校

『あんぱん』でたかしのモデルとなった、やなせたかしさん。

やなせたかしさんの学歴や受験のエピソードを時系列で紹介します。

学歴年表

西暦年齢できごと
1925年6歳高知市立第三小学校 入学
1926年7歳後免野田組合立軍場小学校に転校
1931年12歳高知県立城東中学校 入学
1935年16歳高知高等学校(旧制) 受験
1936年17歳京都高等工芸学校・東京美術学校 受験
1937年18歳東京高等工芸学校図案科 入学

小・中学校

やなせたかしさんは、幼少期の頃から本を読むのが大好きだったそう。

4歳の頃には、ひらがなもカタカナも読めるようになっていました。

1925年、近所の『高知市立第三小学校』へ入学。

成績は優秀で、特に絵と作文が得意だったそうです。

クラスでは、副級長を務めたこともありました。

翌年、小学校2年生の時に『後免野田組合立軍場小学校』に転校。

母親の再婚に伴い、父方の伯父に引き取られたことが理由です。

転校先の小学校は生徒数が少なく、やなせたかしさんは勉強をしなくても常に首席でした。

1931年『高知県立城東中学校(現在の追手前高校の前身)』へ進学。

中学に入ると、成績は急降下。

特に数学と英語が苦手で、200人中70番くらいの成績だったそうです。

このあたりのエピソードは、『あんぱん』のたかしにも反映されていますね。

受験と浪人時代

1935年、やなせたかしさんは旧制中学4年生になりました。

当時、旧制中学校は5年制でしたが、4年を終えると高等学校を受験することができました。

やなせたかしさんも『高知高等学校(旧制)』を受験しますが、結果は不合格。

この失敗を機に『絵の勉強ができる学校へ行きたい』という思いを、伯父の寛さんに相談。

すると、寛さんはあっさりと認めてくれたそうです。

そして『図案』という分野への進学を勧めてくれました。

最初の受験

寛さんのアドバイスを受け、やなせたかしさんは2校受験しました。

受験校と合否
  • 京都高等工芸学校図案科⇒不合格
  • 東京美術学校図画師範科⇒不合格

京都高等工芸学校は、現在の京都工芸繊維大学の前身。

東京美術学校は、現在の東京藝術大学の前身にあたります。

残念ながら、二校とも不合格に。

浪人生活が始まりました。

浪人生活と再挑戦

浪人中、やなせたかしさんは予備校や塾には通わずに、独学で勉強。

特に苦手な数学は、定番問題集を丸暗記する作戦をとりました。

翌年、再び2校を受験します。

受験校と合否
  • 京都高等工芸学校図案科⇒不合格
  • 東京高等工芸学校図案科⇒合格

東京高等工芸学校は、定員わずか20名。

倍率9倍の難関でした。

しかし、幸運にも見覚えのある問題が出題され、見事合格。

無事に、一次試験・二次試験とも突破し、入学を果たしました。

この東京高等工芸学校の経験は、後のやなせたかしさんの創作活動に大きな影響を与えます。

まとめ

  • モデルは東京高等工芸学校の可能性が高い
  • やなせたかしさんは東京高等工芸学校に進学した

『あんぱん』に登場した、東京高等芸術学校は架空の学校です。

モデルは、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)と考えられます。

モデルとして考えられる理由は、やなせたかしさんの出身校であること。

浪人して入学した点が一致すること。

図案科がある点が共通していることの3つです。

やなせたかしさんは、京都高等工芸学校や東京美術学校を受験しますが、不合格に。

その後、独学で勉強し、倍率9倍の東京高等工芸学校に見事合格しました。

作中のたかしの進路や苦悩は、やなせたかしさん自身の実体験が反映されています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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